2006年11月26日

「多情多恨」のお話し

 明治の文豪尾崎紅葉は、明治29年に小説「多情多恨」を発表している。それにしても、「多情多恨」とは言い得て妙な言葉である。
 過日、テレビの身の上相談で、こんな光景があった。
相談するのは、複数の男性との外泊を繰り返す、不行跡娘を心配する母。答えるのは、かってグループシンガーであったA氏。
 そしてA氏の解答。「セックスは個人の自由。だから、不行跡に非ず。たとえ自分の娘が同じことをしても、私は許すだろう」。自称進歩的な文化人のA氏は、胸を張って解答したものである。
だが、待てよ。たしかにセックスは個人の自由である。しかし、あまり自由を振り回しすぎると、とんでもないお灸をすれられることがある。
 女性にとって恐ろしい子宮頚部癌は、ギリシャ時代、その名も麗しく、「ヴィーナス病」と呼ばれていた。
 ところが実態は、麗しき名前に背く重病である。そして、問題のヴィーナス病は当時すでに、言葉は古いが、娼婦や放蕩亭主を持つ妻に発生しやすく、性行為と浅からぬ関係をもつ「もの」として知られていた。同時に、セックス経験のない修道女や尼さんには、発生しにくいともされていたのである。
 時代が過ぎ時が流れ、ギリシャ時代から約2000年後の1983年。子宮頸部癌の90%から、ヒトパピローマウイルスというウイルスが検出された。つまり、子宮頚部癌は、一種のウイルス感染症だったわけである。
 そして、ヴィーナス病は、性病と同じように、今となっては懐かしい、特飲街関係レディたち中心に、比較的狭い範囲内のみに広がっている考えられていた。
 ところがところが最近は、自称進歩的な文化人のおすすめ(?)もあっての、いわゆる性の自由化である。
 いまや、複数のセックスパートナーは当然、不倫だってことの成り行き次第。若き女子中高学生の間でも、援助交際という名の、まごうことなき売春行為が横行中である。
 初体験の低年化と複数相手との性交渉は、ヒトパピローマウイルスを仕込むには十分すぎる条件ではないか。女子高校生らの自己採取標本から、ヒトパピローマウイルスの高い陽性率を見たとの報告も、その辺の事情をはっきりと証明している。
 初体験の低年化と性交渉相手の複数化、そして子宮頚部癌の多発。げに恐ろしきは、多情多恨の条理なり。
 現代感覚では、セックスはスポーツのようなものなのかもしれない。しかし、今日の快楽が明日の悲しみにならぬよう、ここらでセックスの自由化を見直すべきだろう。
 自称進歩的文化人を自称するA氏も、わがムスメが子宮頚部眼で苦しむ姿を見たら、はたして、「セックスは個人の自由。不行跡に非ず」の言葉をいかに受け止めるだろうか。同時に、「多情多恨」なる言葉の意味を、もっとしっかりと噛みしめてもらいたい。
posted by えいちゃん at 14:33| Comment(0) | TrackBack(1) | コラム
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/1837368

この記事へのトラックバック

尾崎紅葉『多情多恨』
Excerpt: ■昨日、尾崎紅葉『多情多恨』を読み終えた。『金色夜叉』に比べれば大したことないだろうとあまり期待せずに読み始めたが、どうしてこれが新潮文庫に入らないかと思うくらい面白い作品だった。下記にもあるように主..
Weblog: 愛と苦悩の日記
Tracked: 2010-01-22 07:30